母の日
母の日についてお話したいと思います。
起源・由来はご存知ですか?
以外と知られていないのでは!
調べてみました。
今から約100年前の1908年5月10日
アメリカのウェストバージニア州に住むアンナという少女は、母の命日に追悼式を開き
そこで母が大好きだった白いカーネーションを参加者一人ひとりに手渡した。
というのが始まりです。
彼女の母、ミセス・ジャービスは早くに夫を亡くし
残された娘二人(そのうち一人は盲目だった)を一人で育て上げました。
アンナは母を想い、その後、母に感謝する日を祝日にすることを訴え続け
1910年ウェストバージニア州がはじめて「母の日」を祝日として認定。
そして1914年には、とうとう国の祝日として認められたのでした。
日本では1923年から始まりました。
これが一般に知られている母の日の始まりです。
母の家族への献身と子供の親への感謝。なんと美しいお話でしょう!
ところが!!
この「一般的に伝えられている」母の日の起源は、物語の半分しか語っていません。
そればかりか、アンナが目指した本当の願いを覆い隠してしまっているのです。
毎年、母親に感謝してカーネーションを贈りましょうという文化がまかりとおっているけれど
本当はそんな安っぽいものじゃないんです。
どういうことなのでしょう??
先に結論から言ってしまいましょう!
母の日は、平和を願う母親たちの社会運動を記念したことが始まり!
もともとは「平和のための母の日」
それでは、もう一度過去にさかのぼってみましょう。忘れ去られた本当の母の日の起源を求めて!
アンナの母ミセス・ジャービスは
1852年、ウェストバージニア州グラフテンの小さな教会の牧師の夫と結婚しました。
彼女は素晴らしい社会活動家でした。
1858年に「母の日仕事クラブ(Mothers' Day Work Club)」を結成し
病気で苦しんでいる人たちを助けるために募金活動をしたり
病気予防のため牛乳や食品の検査など公衆衛生のための活動をしていました。
南北戦争(1861~65年)が始まると、「母の日仕事クラブ」は中立を宣言して
南北双方の傷ついた兵士の看病をしました。
戦争も終わりに近づいた頃、彼女は戦争で傷ついた人々の心を癒そうと
今度は「母の友情の日(Mother's Friendship Day)」を企画。
政治に関係なく南北双方の兵士や地域の人たちを招き
お互いに敵意を持つことを止めさせようとの狙いがあったこのイベントは
大混乱の恐れがあったにもかかわらず、大成功をおさめました。
「残された娘二人」と冒頭に書きましたが、実は彼女は戦争や病気で8人も子供を失っています。
それにもかかわらず、母としての愛情を、自分の子供のみならず、すべての人々に注いだのでした。
さて、ミセス・ジャービスの影響があったかはわかりませんが
南北戦争後の1872年、南北戦争の戦記を書いたジュリア・ワード・ホーウ女史は
平和を祈り、「平和のための母の日(Mother's Day for Peace)」として
毎年一度イベントを開こうと提唱しました。
これは現在の『母の日』の原型ともいえるものです。
ホーウ女史は宣言文の中でこう述べています。
私たちの夫は、虐殺の血の臭いに満ちて帰って来るべきではない。
私たちの子供は、今まで私たちが教えてきた慈悲、寛容、忍耐を忘れるために
戦争に連れて行かれるべきではない。
私たち、この国の母親は、どこまで優しくなっていくのでしょう。
自分たちの子供が
相手の国の母親の子供を殺すのをだまって見過ごすほどに優しくなってしまうのでしょうか。
女性は社会的弱者といわれる一方
19世紀から、(中流階級の)アメリカの女性は社会の改革に大きな貢献をしてきました。
奴隷制度の廃止のために主導的な役割を果たしたのは女性でした。
その後も、暴力、女性労働者の環境改善・子供の保護・公衆衛生
貧しい人たちへの社会保障などの問題について政治的な圧力をかけてきました。
「母親」と「社会正義」は、大きな結びつきがあるです。
その後30年の間、国民の祝日でこそありませんでしたが
毎年6月2日の「平和のための母の日」には
社会運動としてさまざまなイベントが各地で行われてきました。
こういった流れがあったからこそ、ミセス・ジャービスの追悼式は社会的な注目を浴びたのでした。
アンナは母親だけではなく、すべての母親の社会に対する貢献を讃えて
祝日として『母の日』をつくることを求め続けたのでした。
そして願いは叶ったのです。
というふうな深い由来があったそうです。
そんな素晴らしい理念を持って1914年から国の祝日として始まった「母の日」でしたが
ビジネスマンにとって「母の日」は絶好の「チャンス」でした。
平和を祈るはずの「母の日」を「家族のために捧げてくれている母親に感謝しましょう。」
というアイデアにすり替えてしまいました。
ビジネスにとっても、平和への祈りより「母へのプレゼント」の方が
消費者の財布のひもをゆるめ、儲かるので好都合だったのでしょうね!
また、こんなことも聞いたことがあります。
当時アメリカの花業界の雑誌には、「This was a holiday that could be exploited.」
「この祝日は利用できる。」と書かれていたそうで
町では「母の日のプレゼントには、花を贈りましょう。」という広告があふれていたようで・・・・・。
きっとアンナは、商業化されていく「母の日」に対して
計り知れぬ怒りを感じていたのでしょうね。
こういった歴史を調べてみると
母の日がただ単に「おかあさん ありがとう。」というものではないことがわかりました。
母親を個人的に慕うのは、もちろんのこと!
社会的に保護・支援していくことを考えるのが大切なことなのかと感じました。
起源・由来はご存知ですか?
以外と知られていないのでは!
調べてみました。
今から約100年前の1908年5月10日
アメリカのウェストバージニア州に住むアンナという少女は、母の命日に追悼式を開き
そこで母が大好きだった白いカーネーションを参加者一人ひとりに手渡した。
というのが始まりです。
彼女の母、ミセス・ジャービスは早くに夫を亡くし
残された娘二人(そのうち一人は盲目だった)を一人で育て上げました。
アンナは母を想い、その後、母に感謝する日を祝日にすることを訴え続け
1910年ウェストバージニア州がはじめて「母の日」を祝日として認定。
そして1914年には、とうとう国の祝日として認められたのでした。
日本では1923年から始まりました。
これが一般に知られている母の日の始まりです。
母の家族への献身と子供の親への感謝。なんと美しいお話でしょう!
ところが!!
この「一般的に伝えられている」母の日の起源は、物語の半分しか語っていません。
そればかりか、アンナが目指した本当の願いを覆い隠してしまっているのです。
毎年、母親に感謝してカーネーションを贈りましょうという文化がまかりとおっているけれど
本当はそんな安っぽいものじゃないんです。
どういうことなのでしょう??
先に結論から言ってしまいましょう!
母の日は、平和を願う母親たちの社会運動を記念したことが始まり!
もともとは「平和のための母の日」
それでは、もう一度過去にさかのぼってみましょう。忘れ去られた本当の母の日の起源を求めて!
アンナの母ミセス・ジャービスは
1852年、ウェストバージニア州グラフテンの小さな教会の牧師の夫と結婚しました。
彼女は素晴らしい社会活動家でした。
1858年に「母の日仕事クラブ(Mothers' Day Work Club)」を結成し
病気で苦しんでいる人たちを助けるために募金活動をしたり
病気予防のため牛乳や食品の検査など公衆衛生のための活動をしていました。
南北戦争(1861~65年)が始まると、「母の日仕事クラブ」は中立を宣言して
南北双方の傷ついた兵士の看病をしました。
戦争も終わりに近づいた頃、彼女は戦争で傷ついた人々の心を癒そうと
今度は「母の友情の日(Mother's Friendship Day)」を企画。
政治に関係なく南北双方の兵士や地域の人たちを招き
お互いに敵意を持つことを止めさせようとの狙いがあったこのイベントは
大混乱の恐れがあったにもかかわらず、大成功をおさめました。
「残された娘二人」と冒頭に書きましたが、実は彼女は戦争や病気で8人も子供を失っています。
それにもかかわらず、母としての愛情を、自分の子供のみならず、すべての人々に注いだのでした。
さて、ミセス・ジャービスの影響があったかはわかりませんが
南北戦争後の1872年、南北戦争の戦記を書いたジュリア・ワード・ホーウ女史は
平和を祈り、「平和のための母の日(Mother's Day for Peace)」として
毎年一度イベントを開こうと提唱しました。
これは現在の『母の日』の原型ともいえるものです。
ホーウ女史は宣言文の中でこう述べています。
私たちの夫は、虐殺の血の臭いに満ちて帰って来るべきではない。
私たちの子供は、今まで私たちが教えてきた慈悲、寛容、忍耐を忘れるために
戦争に連れて行かれるべきではない。
私たち、この国の母親は、どこまで優しくなっていくのでしょう。
自分たちの子供が
相手の国の母親の子供を殺すのをだまって見過ごすほどに優しくなってしまうのでしょうか。
女性は社会的弱者といわれる一方
19世紀から、(中流階級の)アメリカの女性は社会の改革に大きな貢献をしてきました。
奴隷制度の廃止のために主導的な役割を果たしたのは女性でした。
その後も、暴力、女性労働者の環境改善・子供の保護・公衆衛生
貧しい人たちへの社会保障などの問題について政治的な圧力をかけてきました。
「母親」と「社会正義」は、大きな結びつきがあるです。
その後30年の間、国民の祝日でこそありませんでしたが
毎年6月2日の「平和のための母の日」には
社会運動としてさまざまなイベントが各地で行われてきました。
こういった流れがあったからこそ、ミセス・ジャービスの追悼式は社会的な注目を浴びたのでした。
アンナは母親だけではなく、すべての母親の社会に対する貢献を讃えて
祝日として『母の日』をつくることを求め続けたのでした。
そして願いは叶ったのです。
というふうな深い由来があったそうです。
そんな素晴らしい理念を持って1914年から国の祝日として始まった「母の日」でしたが
ビジネスマンにとって「母の日」は絶好の「チャンス」でした。
平和を祈るはずの「母の日」を「家族のために捧げてくれている母親に感謝しましょう。」
というアイデアにすり替えてしまいました。
ビジネスにとっても、平和への祈りより「母へのプレゼント」の方が
消費者の財布のひもをゆるめ、儲かるので好都合だったのでしょうね!
また、こんなことも聞いたことがあります。
当時アメリカの花業界の雑誌には、「This was a holiday that could be exploited.」
「この祝日は利用できる。」と書かれていたそうで
町では「母の日のプレゼントには、花を贈りましょう。」という広告があふれていたようで・・・・・。
きっとアンナは、商業化されていく「母の日」に対して
計り知れぬ怒りを感じていたのでしょうね。
こういった歴史を調べてみると
母の日がただ単に「おかあさん ありがとう。」というものではないことがわかりました。
母親を個人的に慕うのは、もちろんのこと!
社会的に保護・支援していくことを考えるのが大切なことなのかと感じました。
2008-05-08 11:25
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コメント(4)
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おはようございます。
母の日、そんなたいへんな由来があったのですね!
勉強になりました。
おひさしぶりです。
お元気ですか!
by リオ” (2008-05-09 08:43)
リオ”さん
久しぶりですね!
僕も調べてみてびっくりしました。
たいへんな由来でしょ!
by fuca (2008-05-11 16:27)
Mちゃん。
いつも楽しく読ませてもらっています。
出来ればもっとたくさん更新してください。
ごめんなさい!
忙しいんでしょうね!
「母の日」のブログの内容、とてもためになりました。
ありがとう!
by 松坂 (2008-05-12 14:44)
松坂さん
元気ですか!
なかなかパソコンの前に座れず、携帯でコメントを見るばかりで
コメント返しも遅くなってしまいがちで
更新もスローペースです。
あちらこちらへ、「貧乏暇なし」です。
そちらに行ったときも、なかなか会えないですね!
とんぼ帰りが多く、連絡も出来ずゴメンなさい。
「母の日」・・・こうやって調べてみたら
けっこう面白いでしょ!
「シャンソン」歌ってますか!
by fuca (2008-05-12 19:58)